ホットバイクジャパンが20周年を迎えた。
最初に読んだのは、確かレッドバロン柏店だったと思う。
俺が初めて所有したエリミ250はレッドバロンで買った中古車で、時々時間つぶしにクラブマンを読みに行ったりしていたんだが、そこにホットバイクはあった。 驚いたよ。
出てくるバイクが皆俺の好みのバイクばかりで、そして全てがハーレーだった。
すぐに近場の大型書店を駆け回り、記念となる一冊目を手に入れたんだ。
たしか3号か4号だったんじゃないかな。
その後、上野で2号、1号とバックナンバーを揃え、そしてその後毎号買うようになった。
柏にライコランドができて、中央階段の下にハーレーコーナーができていた。
当時あの界隈でハーレーパーツをちゃんと扱ってくれる唯一の場所で、学校帰りに毎日寄ったよ。
勿論そこには必ずホットバイクが売っていた。
当時買ったホットバイクは、今も実家のタンスにしまってある。
1号は装丁というか、紙の閉じ方が悪かったのかすぐにばらばらになってしまった。
しかし2号以降は綺麗な状態だよ。
一冊一冊が、10代終盤、20代の俺の人生に影響を与え続けた思い出さ。
実家に行くたびに数冊を抜き取り、当時を思い出しながら読み返す。
俺の青春はホットバイクと共にあったと言っても過言ではない。
今にして思えば恥ずかしい悪影響も沢山あった。
影響を受け、無理をしてハーレーを購入し、その魅力に取り憑かれた。
そこまでは良かった。
「ハーレーがベスト!他のバイクはSUCK!」
「ハーレーの鼓動感溢れるエンジンこそ最高で、日本車の電気モーターみたいな味のないエンジンは魅力のかけらもないゴミだ!」
当時は本気でそう思っていた(今でもジャメは恥だと思っている)。
別にホットバイクがそう言っていたわけではないが、何故かそういう気分になったんだ。
あの頃のハーレーは極めて少数派で、理屈の上では安くて性能の良い国産車に勝る部分は全く説明できなかった。
感覚的な良さ。
それだけがハーレーの良さであり、それこそがハーレーの素晴らしさだ。
それを紙面の前面に押し出してくれる(自分の感想を代弁してくれる)数少ない媒体。
まだ二十歳にも満たないガキが信者になるには、十分すぎる条件が揃っていたわけだ。
シラセイズミ氏のコラムにも相当影響を受けた。
バイクを自分で所有する→OWNする。
バイクをトラックで引き上げする→バイクをピックアップする。
等々、氏のコラムに頻繁に登場する英単語は、見た次の瞬間から俺の常用語となって日常でも使いまくる事になる。
恥ずかしいったらありゃしないが、実を言うと今でも多用しているよ。
使ってみるとかなり便利なんだ。
何よりも、英語でバイク話する時に重宝する単語が多く、意外とすんなり口から出たり、理解できたりできる。
氏がどんな意図を持ってあのような単語を、英語のままテキストに混ぜ込んだのかはわからないが、少なくとも英語でバイク関連のやりとりをする際、ピンポイントで良く使う単語ばかりで、結果として役に立っているのは間違いない。
ただ、俺はインローの人間なので、薬物ネタや入れ墨ネタはイマイチついて行けなかった。
あと、当時EVO乗りだったこともあり、EVOを小馬鹿にするような発言もちょっと…って感じだった。
でも今読み返してみると、単にEVOをこき下ろしているわけではない、古いバイクの盲目的礼賛じゃないことが、この歳になって漸くわかるようになってきた。
日本車を敵視するような発言も、ちょっとついていけない部分の一つだった(俺もハーレーを馬鹿にする日本車乗りに反発していたが、それは乗り手に対する反発であって、日本企業やその製品に対するものではなかった)。
無論氏のその発言は、米国内における日本二輪企業の長年の振る舞いを見ての物だっただろう。
だけどやっぱり俺は日本人で、ジャップバイクメルトダウンだの日本製旧型バイクが大陸横断に失敗した話だのは、正直気分のよくない話だった。
それでも俺は氏のコラムが大好きだった。
なんだかんだ言って、ハリウッド映画に憧れた俺にとって、アメリカは憧れの地であり、そこのバイクシーンの真っ只中にいる氏も憧れだったからだ。
そして何より「ハーレーなんてオッサンのオヤジバイクじゃん」とせせら笑ってくる国産スポーツバイク乗り達が圧倒的多数で、その圧倒的多数共によるある種の体制的な物に対する反体制精神を維持する上で、氏の言葉は痛快でもあった。
今も氏のコラムが一番の楽しみだ。
さすがにスラランに影響されて、あれを多用することはなかったけれども。
ハミングスの漫画もとても楽しみだった。
日本の漫画では見ることがありえない、独特のセンスと世界観。
アメコミにもこんなに面白い漫画を描く人がいたのかと驚いた。
後日、あれはHBJに書き下ろしたわけではないらしい話を聞いてがっかりしたが、面白かった。
日本人に対する人種偏見的な表現もあったが、それでも本当に面白かった。
死が本当に悔やまれる。
その後、旅雑誌と化してからあまり読まなくなり、60号ぐらいで買うのを辞めた。
アウトローバイカーの特集があった時ぐらいか、買ったのは。
そして、池田編集長復帰のニュースを聞いて、久しぶりに手に取ってみた。
やっぱり面白かったよ。
思わず久しぶりに雑誌を購入した。
それ以降3号ほど連続して買っているんだ。
ここ数年、雑誌なんてものを購入したことなんて無かったのに。
何度も繰り返し読んでみた(俺は基本的に同じ記事を何度も何度も読み直す)。
読んでいたら、なんとなく自分の20代を思い出した。
俺の20代はハーレーとドリフト(20代初期まではプラスしてバンド)に彩られ、そのうちのハーレーの部分は、その大半の影響をこの雑誌から受けていた。
この雑誌と出会っていなかったら、俺はハーレーに乗っていない。
ハーレーに乗っていなかったら、ドリフトに全てのウエイトを持って行かれて、二輪にも乗り続けていなかったかもしれない。
ホットバイクに出会っていなかったら、俺はバイクを降りていただろう。
現在のバイク中心のライフスタイルを作り上げたのはハーレーで、そのきっかけを与えてくれたのはホットバイクジャパンだったことは紛れもない事実だ。
ホットバイクのおかげで今の俺がある。
映画が人の人生に影響を与えるように、雑誌が人の人生を変えることもあるのだ。
俺の人生は、このホットバイクジャパンのおかげで、少しばかり楽しい方向に「ずれた」人生を歩むことが出来ている。 |